silver lining cafe

市島おりせ の日記

君の名は 言葉より行動や体感がすべて

ブームなのは知っていて
みてみよう
と思い

でも
ほかの人の感想や批評といった
ノイズにとらわれないように
素のまま
あらすじも
情報もシャットアウトして
ブームが終わったころゆっくり観ようと決めて
今日になって みてきました。

私自身の感想は
「純粋な想い」と「体感」

私としては
実はこれは同じもの。

理論的にこうだとか
この人はこう思っている
とか
人間関係的にこうだとか
いれかわったときの心情がどうだとか
音楽がどうだとか

ぜんぶ
どうでもいいのです。

ここからネタバレ注意ですが

お互いに
彗星が降ってくる日の朝
主役の2人は
自分では
なんで涙が流れるのか
ぜんぜんわからない。

名前を忘れて
再開するときも
ただ
そこには
なにか「感じる」。

それだけであって
自分のなかの奥深いところの
どこががわかっている。
感覚でしか説明がつかないもの。

そこにどれだけ焦点をあてられて
「そうなんだよね」
ととれるか。

体感に近いもので
コトバで
ああだ こうだと
語ろうとすると
すり抜けてしまう「なにか」
そこにあった気がします。

なので
「語る」より「感じる」
に うったえかける映画なのだと思うのです。

わかりやすいところでいうと
人って
なんで泣くのか
笑うのか
叫ぶのか

そんなこと
説明がつかないことのほうが
多いのじゃないかな。

特に
ほんとうに核になる部分が
揺すぶられる時って
言葉とかが出てくる余地なんか
どこにもない。

ただ
そう感じるから
そうなんだよ。

そして
身体が感じるものが
いちばん正しかったりする。

言葉って
説明できたとしても
実はその言葉は後づけだったりするもので
リアルタイムではわからない。

逆に言えば
言葉で説明しようとする必要があるとき、

それは何かしらノイズがある。
つまり
ウソや言い訳をするとき。

言葉より
現実的な行動がすべてを語るし
そこからのみ
感じるもの。

純粋な想いは
体感のみでわかるものだから。

そういう意味では
言葉で語ろうとすればするほど
魅力を伝えられない
そんな映画。

私個人が
好きな映画や音楽は
言葉では説明がつかないものが多いです。

ただ
心が動くという体感のみがある
それだけが
ナビゲーターとなるのです。

そういう意味では
この映画も
言葉で説明するのは
むずかしいのかも。

細かい技術とか
音楽の歌詞がどうとか
語れたとしても
核心の部分は
言葉にできない

批評家泣かせかもしれませんねw。

作り手はどうかはわからないけれど
観る側としては
ただ
身体で感じてみたほうがわかるんじゃないかな。

そんな映画でした。
よって
どこが感動したとか
よかったとか
分析とか

そういったものはゼロの
役に立たないw感想でした^ - ^

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