silver lining cafe

市島おりせ の日記

ジコチュー考

前回の続きでもあります。

熊倉正子さんの本で、彼女は
「私はジコチューです」
と、ご自身のことを述べています。

日本での生活の方が少ないぐらいの方なので
日本的感覚だと「ジコチュー」。

でも一歩外に出て、個人主義の世界では
日本のジコチューは「ふつう」ってことなのだろうな
便宜上、日本の感覚に合わせて「ジコチュー」という表現を使っているだけなんだろうな
と読んでいてわかります。



(補足:熊倉さん 、好き勝手に生きろとか

自分さえよければいいとか そういうことは決して言っていません。

「自分の基準をはっきり持ちなさい」

という意味のジコチューです^ ^


ここから書くことは完全に私個人の考えですので)

そこから思ったこと。

音楽が好きで、そこから英語は学ぶのが好きになったのですが
今気づくのは、私が外国語を学ぶのが好きなのは

「日本的な感覚を持たずにいられて楽だから」

というのがすごく大きいかもしれません。

言葉そのものより
そのバックグラウンドのほうが影響は大きい。

どんな言葉を話しても気遣いとか思いやりは大切だと思いますが
必要以上はいらない。しかも我慢を人に強いるようなものはなおさらです。

今 フランス語を学んでいるのも、そうした気持ちのあらわれかも
と気づきました。

憧れというのがない分、冷静に見えてくるのですが
欧米と言うときも、アメリカとヨーロッパ、そしてもちろん国ごと地域ごと文化は違っているし、人によっては個人差はあるけれど

かなり狭い個人的な体験から言えば

アメリカは明るくポジティブであることがとても大切で
ある意味、建前をすごく大切にする。

世間の評判も気にするし、協調性も重視する。
アメリカンドリームや成長成功を重んじるからかもしれませんね。

そして意外にも、政治的なことに関しては東海岸より西海岸の方が保守的で、ストレートな物言いはしないとか。意見自由と思いきやそうではないこともある。


ヨーロッパ人は後腐れなくお互い皮肉を言い合って遊ぶ余裕があったり(時にどぎつい皮肉もw。でも遊び感覚というパターンが多い)
いつでもポジティブでいようというプレッシャーは少ない。
感情を表に出す、気分次第の人も多い。これは良くも悪くも取られるでしょうが、ある意味自分に正直なのかもしれないですね。

階級社会のせいか、そういうメンタリティーのせいか
自己啓発などもヨーロッパでは流行らないし
作られた人工のポジティブ世界ディズニーランドも彼らのメンタリティーとは合わないのか流行らない。

などなど。

それで自分は?というと
少なくとも今の自分は、メンタリティーだけでいえばヨーロッパ寄りの感じが強い。
だから言葉も習いたいと思ったのだなとわかるんです。

自分の本音に素直に生き、素直にそれを表現していく
日本で言う「ジコチュー」にもっとなっていいんじゃない
ってこと。

喜怒哀楽もっと出したってっていいじゃない
自己主張したっていいじゃないって感じなのです。

熊倉さんの本を手に取ったのも
もっとジコチューに、軽やかになっていいよ
というメッセージなのかもしれません。
(ジコチューって実は軽やかです。内側に抱え込まないから)

ジコチュー化はずっとやってたのですが
まだまだジコチュー度がたりなかったw

もっと自分を表現したり、本音を出したり、感情を出したり
軽やかになっていこうと
あらためて思いました^^